監視文化の誕生

デイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生 社会に監視される時代から, ひとびとが進んで監視する時代へ』(青土社, 2019)

MEMO

駄本かも…

監視国家でもなく, 監視社会でもなく「監視文化」. ライアンはそれを言うことで, 監視が我々にとってより内面化されたものとなっていること, 我々自身が監視に参与していることを強調したい様子. それを可能にしているのは, インターネット.

したがって監視文化は「利用者のつくる監視」だと特徴づけることができる. 「利用者の作るコンテンツ」というWeb2.0と同様のテクノロジー(技術的なアフォーダンス)が, 利用者によるコンテンツの配信を可能にするのと同時に, 監視という形態を作り出すのだ. 一方で利用者が, スマホなどのデバイスや, ツイッターといったサービスを利用するほど, 組織的な監視のためのデータが集まる. 他方で利用者自身が, チェックやフォロー, 「いいね」や「おすすめ」のような評価活動といった, 監視的な行動を取っている. (15)

管理の文化→監視の文化という進展. リスク感覚

監視国家や監視社会とは違って監視文化という概念を使う核心には, 監視されることや監視主体に対する積極的な参加や関与への着目がある. (25)

かつては警察や公安といった調査機関が掌握していた(と思われていた)監視手段が, 今では多くのメディアを通じて, 一般市民のものとなっている. このことが監視文化の出現を手助けした. (42)

パフォーマンスの監視   

利便性とのトレードオフとして受け取られているのでは, ということ

大衆文化, という線からセルトーやブルデュー(のハビトゥス)を召喚

あなたが, 自分は監視されていると気づいていることが, 監視文化の重要な一側面なのである. 100

監視資本主義ー>ショシャナ・ズボフ https://www.amazon.co.jp/%E7%9B%A3%E8%A6%96%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E8%B3%AD%E3%81%91%E3%81%9F%E9%97%98%E3%81%84-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%95/dp/4492503315

リレーショナル・データベースを例に取ってみよう. 瓶を消費者と, 老人を緊急サービスと, 患者を処方箋とケータイを通じて結びつけているのは, リレーショナル・データベースである, . デジタルの数表から素早く, 適切なリンクを作るための並び替えを行うことができる. こうしたシステムは, 環境を感知し, 情報のための文脈を作り, 適切な組み合わせの中で内的に通信を行い, 利用可能なデータの中から意味を読み取って結論を導き出すのだ.  127 →主キーにさまざまな属性が紐づけられて, 一元的に監視されちゃうのが恐ろしい, ということ?あるいは名寄せ?

なんで自分で監視に加担しちゃうの?という理由を扱うのが第四章 承認とか, 自己の外部委託(ホックシールド)などでの説明. 「プライバシー」なんかは有効な対抗言説にならなくなっている

レヴィナスの「顔」を使って批判しようとする. それって有効か…?

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