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近代家族論はすでに近世近代の日本家族の分析に用いられ,多くの成果を挙げてきた.近代家族論登場以前の枠組では,家は封建遺制であり,近代家族とは正反対の概念とするのが常識であった.しかし近年の近代家族論の枠組を用いた研究では,戦前のいわゆる家制度下の家族に近代家族的性格を見出すものが相次いだ.(29)
日本の伝統的家族は,「家」という概念でとらえられてきた.しかし通常われわれの考える「家」は,まさに上に述べたような意味で,日本の文化的アイデンティティというイデオロギー的価値を与えられ,西洋の家族と対照的な特質をもつものとして作り上げられてきた概念である(Ochiai, 2000).一九世紀末,フランスのナポレオン法典に範をとってボアソナードが起草した民法が「民法出て忠孝滅ぶ」(穂積八束)という激しい批判に阻まれて施行できず,家長権と相続のあり方を明文化した新民法が近代家制度の法的基礎となったのは周知のとおりである.近代の家は,当初から近代ヨーロッパの家族観への対抗を意識して構成された「創られた伝統」(Hobshaum and Ranger eds., 1983)なのである.(45-6.)
転換の移行期における人口増加は,日本のような直系家族(stem family)社会にはまた少し違った効果を及ぼす.一夫婦当たり成人する子供数が多いという条件は,親の側の同居可能性を一方的に高める.子供のいない高齢者が少なくなるためである.しかし子供の側にとっては事情はもっと複雑である.直系家族制では子供のうち一人だけが親と同居するので,大勢の兄弟姉妹が成人できるとすると,自分が親と住む可能性は兄弟姉妹数分の一になるからである.(57)
どちらが主導権を握ったにせよ,なぜ容易に離婚することができたのか考えると,社会生活の単位が夫婦ではなく家であったので,世帯内には夫婦以外にもしばしば成人がおり,離婚がすなわち家族の崩壊を意味しなかったからなのではなかろうか.嫁や婿は交換可能な部品にすぎず,実際,頻繁な再婚によって多くは一,二年の内には新しい個人により置き換えられた(Kurosu, 1998, figure3).各家族が主たる社会的単位であったヨーロッパで婚姻非解消規範が成立せねばならなかったのと対照的な,「家」社会ゆえの特徴と言えよう.(74-5.)
現代に生きるわれわれは,子供との同居というと血のつながった実の子との同居しか思い浮かべない傾向がある.しかし実の子との同居は家制度が前世の徳川時代でも,圧倒的多数派の経験だったわけではない.出生率と再生産率に関連して述べたように,子供が一人も育ち上がらない夫婦もかなりの比率でいた.それでも徳川社会が高齢者の扶養を同居の「子供」に任せるシステムを維持できたのは,養子をはじめ,「子供」の代替者を用意する制度的工夫を幾重にもほどこしていたからであった.(79)
また歴史学的観点からも,第二の「孤立化」仮説は乗り越えられるべき課題であった.産業化は伝統的拡大家族や親族ネットワークを解体に導いたから,なぜなら産業化は孤立核家族と適合的であるから,という仮説は,労働史,家族史でもほぼ定説であったが,産業革命の初期(一八三〇年代初めまで)についてはスメルサー(Smelser, 1959)が,一九世紀中期のランカシャーについてはアンダーソン(Anderson, 1971)が,二〇世紀初期のアメリカについてはハレブン(Hareven, 1982)が,それぞれ反証となる研究を提出した.農村から都市への移住および産業的環境への適応のために親族ネットワークが欠くことのできない役割を果たしたこと,移住後も労働者たちは出身地の慣習や文化を保ち続けて近代産業システムへの適応に利用したことなどが明らかにされた(Hareven, 1982).(94)
こうして見ると,日本の親子関係は家的な枠組を超えて双系的なネットワークに変化しつつあると思われる.ネットワークというのは個人を項として拡がるものだから,この傾向は家族の個人化とも重なる.(145)
落ち着いて自制心のある「主婦」と,主婦予備軍のチャーミングや「BG」たち−−性役割の五五年体制は女をこの新しい二つの類型に分ける.農家の「かか」も,仕送りのため過酷な労働に堪える女工も,男性に伍して働く職業婦人も,イメージのうえでは周辺に追いやられる.歴史の中では決して不変性など持たないこの二分法の女性像は,高度成長の初期から強く安定した規範力を獲得し,部分的には今日に至るまでの長きにわたり,「自然な,女らしい女」の理想像を発散し続けている.(211)
団塊の世代は退去して家庭に入った分,子離れ後の反動もきつい.彼女たちの世代のM字型こよう曲線は,三〇代後半になると再就職によって急上昇するが,このはね上がりの原動力となった不満おエネルギーが,「金妻」や「思秋期」を,そして「教育ママ」をブームにした.『金妻』は専業主婦の,したがって「近代家族」の不幸の物語である.(235)
『男女7人––』でもう一つ気がつくのは,マザコン,シスコン,ファザコンが,男女を問わずごろごろしていることだ.つき合っている相手を親や姉が気に入ってくれるかどうかが,たいへんな重大事として扱われる.こんなに新しい生き方をしている世代に,三世代関係が復活しているとは不思議と思われるかもしれない.しかしそれは家制度の復活とは違う.この世代の親世代は『岸辺––』の則子たち,つまり子供の数を約二人に制限し始めた世代である.近代家族の家族愛から,子供の成人後も結婚後も子供を手放そうとしない親たちが増えてきた.子供の側にしても,人口学的理由により,親を任せておける田舎の長男夫婦などというものが存在しなくなったので,自分が親を捨てる時は親が天涯孤独になる時となり,容易には絆を断ち切れない.したがって三世代関係は同居・別居の別にかかわらず続き,男系ばかりでなく,女の側とも同等に結びつく双系的なものになっていく(落合,一九九四,一九九七a, 第九章).(242-3.)
お弁当に限らず,今の世の中の仕組みは,どこの家にも主婦がいる,という前提で作られていることが多い.(253)